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【映画】十三人の刺客
2011-01-17


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『十三人の刺客』(2010年・監督:三池崇)

1963年に制作された工藤栄一監督による同名作(ワタシは未見)のリメイク
冒頭から何だが、評価の高い本作が海外の主要な映画賞を逃したのは、やはり『七人の侍』をはじめ、『乱』『たそがれ清兵衛』といった海外で公開された名作時代劇からの既視感が要因だったのではないか、とワタシなどは思ってしまう。

将軍の弟という地位に乗じ、暴君の限り尽くす明石藩主(稲垣吾郎)を暗殺するために、集められた13人の刺客。役所公司をリーダーとする13人の暗殺部隊は、宿場を城砦と化し、総勢200を超える明石藩の武士たちを誘い込む。やがて宿場に到着した藩主たちは、刺客たちが施したさまざまな“罠”に翻弄される…。

すでに、さまざなレビューによって報じられている終盤50分にわたる死闘が凄まじい。三池監督はこの殺戮シーンを描きたいがために、本作を撮ったのではないかと思わせるほど、物語の細部はこのクライマックスに収斂されていく。

しかしながら、冒頭にも触れたようにここに至るまでの“物語”は、まるで『七人の侍』だ。
“義憤”に駆られた主人公・島田新左衛門(役所)が、命をなげうつ仲間を集う経緯からしてかの物語を踏襲し、島田の男気に惚れての者(松方弘樹)、剣に命を賭す者(伊原剛志)、自分の居(死に)場所を求める者(山田孝之)、金を要求する者(古田新太)など、多士済々が次々と紹介される。
その流れはよどみなく、そこがまず前半の見どころなのだが、旅の途中で、唯一武士ではない最後の刺客(伊勢谷友介)を“拾う”あたりもやはりデジャヴ(既視感)に襲われてしまう…。

やがて腹を決めた島田たちは“獲物”を誘い込む作戦をとり、宿屋を全て買い取り、かつて「勘兵衛」がそうしたように宿場全体を“城砦”と化してゆく。その作戦過程と、その仕掛けが見事に“決まる”死闘の序盤は、ヒーローものにお約束のカタルシスに溢れる。

宿場に着いた藩主たちを、覆っていたスモークが風に流れ、やがて露となった城砦に立つ刺客たちが迎える冒頭から、退路を奪う橋の爆破、宿屋の崩壊に至るまで、三池組の強者たちの喜色満面が目に浮かぶような“仕事”ぶり。

そして、これもまたお約束のように死闘の後半は陰惨を極め、刺客たちは一人二人と倒れ、最後に残るのは…というストーリーなのだがその生き残り組こそ『七人〜』とは違うものの、そのテイストはやはりのかの作のそれから逃れられない。

サバイバーとなった剣士が茫然自失となって累々たる屍を越え、瓦解した宿場を彷徨するさまはまさにやがて崩壊していく武家社会の虚しさを表現してやまない。が、ワタシはこのシーンがやや長回しすぎると感じたのと、ワタシと同様に外国の観客たちもここで『乱』を思い出してしまったのではないだろうか。


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