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【映画】十三人の刺客(工藤栄一監督)
2011-01-27


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『十三人の刺客』(1963年・監督:工藤栄一)

本来なら三池崇版を観る前にチェックしておくべきだった工藤版『十三人の刺客』。本作を観ると、今さらながら三池版が「リメイク」だったことがわかる。

三池版では、原作にはなかった暴君によって両手足をもがれた少女という、この監督らしい陰惨なシーンを追加する一方で、川渡りでの攻防をバッサリとカットしていたが、シーンによっては脚本もそのままに、本作をかなり忠実に“再現”している。

暴虐な明石藩主(菅貫太郎)が蛮行をはたらく、尾張藩・牧野(月形龍之介)邸内でのシーンなど、カメラ位置も含めてほぼ工藤版そのままのようなカットも見受けられた…。

では、この工藤版と三池版の“違い”はなにか?
おそらく、もっとも三池監督が工藤版との“違い”に心血を注いだのは、終盤の刺客と明石藩武士たちとの激闘だろう。なにしろ工藤版30分のシーンをさらに20分も拡大して、作品のクライマックスとしている。

しかし、その“違い”は単に時間や明石武士の数のみではなく、闘いの内容もまた大きく異なる。三池版ほどのスケールはないにしろ、工藤版の刺客たちも罠をはった落合宿を要塞の如く、さまざまな仕掛けを施す。
しかしながら、その闘いぶりは基本的に“奇襲”なのだ。

屋根や路地から突然、敵の前に姿を表し、刀を振り回しては、身をひるがえして逃げまどう。遁走し、身を隠す。
例えば、三池版ではその剣豪ぶりがヒリヒリと伝ってきた平山九十郎(三池版では井原剛)が、工藤版(西村晃)では敵前から尻尾を巻いて、さっさか逃げていくのだ。
ここに、武士道にのっとった“正々堂々”と闘いの様式はなく、まさに戦場での闘いぶりだ。

しかしながら、時代設定は江戸時代後期のはず。
250年にわたって大きな戦乱がなかった江戸時代の武士たちは、そのほとんどは戦闘の経験はなく、人を切ったことも、真剣で勝負したこともなかったのではないか?

江戸の武士たちは、いわば人に向けて発砲しないままその警官人生を終えるの現代の警察官のようなもので、そのほとんどが人に刃を向けないまま人生を終えた(はずだ)…。
だから、盗賊退治で剣を振りまわし、時には賊を斬殺する『鬼平犯科帳』の与力・同心などは、今でいえば警官(or自衛隊)の中の特殊部隊のような特異な存在であったろう。

このあたりの史実については、ぜひ歴史家にでも検証してもらいたいが、いずれにせよ工藤版が見えない敵と息詰まる神経戦を繰り広げるリドリー・スコット版『エイリアン』だったとすれば、三池版はそれを「今度は戦争だ!」と戦闘エンターテイメントにしてしまったジェームス・キャメロン版『エイリアン2』といえる。

そうした意味でも、この工藤版は三池版とはひと味もふた味も違う集団抗争時代劇であり、構築美あふれるサスペンス時代劇の秀作といえる。

刺客のリーダー島田新左衛門に扮する片岡千恵蔵の重厚な演技や、脇を固める里見浩太朗、嵐寛寿郎、丹波哲郎ら多彩な役者陣も、三池版にはない味わいを醸しだしている。


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