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『われ幻の魚を見たり』(1950年・監督:伊藤大輔)
『忠治旅日記』をはじめ時代劇の名匠して知られる
伊藤大輔監督だが、ワタシが鑑賞したのは
『王将』(1948年)と本作のみで、残念ながらその匠の真骨頂には触れていない。
それでも本作はDVD化もされず長らく幻の名作とされていたもので、時代劇の主人公を彷彿させる“信念の人”として、魚の生息しなかった十和田湖でヒメマスの養殖に成功した
和井内貞行の生涯をドラマチックに描いている。
湖に祀られた権現が魚を忌み嫌うという迷信を信じる者たちの妨害や、数々の失敗で生活も困窮を究めるも、信念を曲げずに養殖を成功させた貞行(
大河内傳次郎)の苦難の生涯そのものが魅力的であることは異論ないが、それ以上に本作を成り立たせているのは貞行を支える家族たちの夫婦愛や親子愛、そして“新たな命”をなかなか受け入れようとしない十和田湖の自然の厳しさと美しさだ。
湖面に光る陽の輝き、波うつ風、足元を奪う降り積もった雪…それら自然の営みが見事にフィルムを支配する。そのモノクロ写真のような美しさと深みに、思わず吸い込まそうになる。
しかしながら、もう一つのテーマである“美しい家族愛”については、いくら時代背景が違うとはいえ、違和感を感じずにいられなくなる。夫との関係を針と糸に例えて、自分の病気までひた隠して黙して添う妻(
小夜福子)の姿には、そりゃあまりに
ジェンダーだろ!と思わずツッコミを入れたくなる。
此度の未曾有の災害で、家族の絆が見直される中でさえ、素直にその夫婦愛を讃えることができない。アイヌの人たちへの侮蔑的な表現とともに、その点が本作がDVD化されない理由なのでは? と訝ってしまう。
そうした意味では、本作をもろ手を挙げての“名作”として薦めることはできないが、なにしろ現存するプリントが決して多いとはいえない伊藤作品だ。その作品世界を知るうえでも貴重な一本だろう。
それにしても本作での大河内伝次郎が、晩年の
森繁久弥の姿にダブるのはワタシだけだろうか…。
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『われ幻の魚を見たり』の参考レビュー一覧(*タイトル文責は森口)
「映画の構成は、まるでアメリカ映画のスポーツもの」--映画瓦版
「一心不乱に突き進む人物を描くもやや空回り」--指田文夫の「さすらい日乗」
「これぞ『日本映画』と言える作品」--お気楽映画時評
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