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『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯』(1973年・監督:
サム・ペキンパー)
サム・ペキンパーといえば、暴力描写を得意とするアクション映画の名匠として
『ワイルド・バンチ』(1969)、
『わらの犬』(1971)、
『ゲッタ・ウェイ』(1972)といった諸作が思い浮かぶが、一方で移りゆく時代への郷愁を込めた
『砂漠の流れ者』(1970)のような印象深い作品も撮っている。
本作もそうした後者の系譜に入るものと思われるが、考えてみれば代表作である『ワイルド・バンチ』にしても、
『ガルシアの首』(1974)にしても、どこか哀愁を漂わせた“滅びの美学”を謳っているわけで、この人のこうした持ち味が激しい暴力シーンとコントラストとなって、その作品に深い陰影を与えているのかもしれない。
本作にしても、若き
ビリー・ザ・キッドをハイエナのように追い詰める保安官パット・ギャレット(ジェームズ・コバーン)との銃撃戦や、お得意のスローモーションでそのペキンパー節を隠そうとしないが、重点はむしろ“郷愁”と“滅びの美学”に置いている。
そのうえで、『砂漠の〜』との差異をあげれば、キッドがかつて兄のように慕っていたギャレットとの世代間闘争を持ち込み、時代(70年代)とよりリンクさせたことだろう。
ここでのキッドは、早世したロック・スターたちの姿に重ね合せることができる。
ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン…あの頃は、多くのミュージシャンたちが次々と死んでいった時代だった。権威や体制に背を向け、Don't Trust Over Thirtyを地で行くように生き急いでいったミュージシャンたち。
みなキッドと同様に、20代の若者だった。
ペキンパー監督は、キッドに彼ら彼女らの姿に重ね合わせたのではないか。
なにしろキッドに、後に
『スター誕生』で見事なやさぐれ元ロック・スターを演じた
文字クリス・クリストファーソンを配し、キッドを慕う若者(!)に
ボブ・ディランあのを抜擢しているのだ。
これは西部劇の名を借りたロック・ムービーと言ってもいい。
音楽を担当したディランのうた詩歌も、あくまでも映画音楽としてストーリーと場面により沿い、この“音楽映画”を盛り立てる。
名曲
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