岩波書店から刊行されているシリーズ
「日本映画は生きている」禺画像] の第6巻で、アニメへの偏愛に満ちた“研究書”。
このシリーズ自体が「日本映画の全体像を、映画史のみならず社会学やメディア論の力を借りて、さまざまな視点から分析し素描」(はじめにより)するという壮大な謀(はかりごと)だが、本書もまた「映画史をアニメを導入する」として、「映画とアニメを均等に論ずる」という意欲的な試みだ。
その前のめりの意気込みを、本書の編集協力者である
上野俊哉氏がまず「総論」として語り、続いて
津堅信之氏が日本アニメの成り立ちを「日本の初期アニメーションの諸相と発達」で詳らかにしていく。
世界初のアニメーションが1906年につくられ、1910年代には日本でも輸入・公開された後、1917年には日本アニメ史の起点となる国産アニメが制作されていたことなど、ワタシの知らないことも多く(というかほとんど知らなかったことばかり)、現代に至るまでの日本アニメ発達史がくっきりと姿を現す。
さらに、中国、カナダ、アメリカ人ら海外の研究者も含めた筆者による、個別テーマの論考が続くわけだが、なにせ“研究書”なので読み解くのにもいささか骨が折れる。
しばしば、
ドゥルーズ=ガタリが引用されるので、これらの研究者たちの多くが、ドゥルーズ=ガタリ・チルドレンなのやもしれぬが、「私たちはテクスチャの水準に、触覚的な空間に関する議論の中で
ジル・ドゥルーズと
フェリックス・ガタリが『近接像(close vision)』と呼んでいた現象を見出す。映画的な用語で言うなら、クローズアップが遠近法的な空間を廃止して物語の安定性を脅威にさらすと認められている限りにおいて、イメージのテクスチャは永続的なクローズアップの形式であると私たちは言うことができるだろう」(「デジタル・イメージの諸次元」マーク・スタインバーグ)などいった一文を目にしたりすると、思わずドン引きしてしまうワタシ(苦笑)。
このシリーズの他の諸作は未読なので何とも言えないが、そういう読者を想定しているのだろうか? もう少し平易な表現による、一般向けの“研究書”にならなかったものだろうか …。
それはさておき、ほかにも「宮崎駿アニメーションのストーリーテリング戦略」「
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