ワタシが
「江戸」に興味を持ち始めたのは、歴史学者・
網野善彦氏の一連の著作によってで、それまで封建社会に覆われた“暗黒の時代”だと妄信していた「江戸」がにわかに異相を持ってワタシの前に立ち現れた。以来、ワタシにとって「江戸」は興味の尽きない対象となった。
よって江戸風俗研究家としてお茶の間にも知られた
杉浦日向子氏の著作も読んでいて当然なのだが、不覚にも『ガロ』時代のマンガは目にしていたものの、江戸モノの著作を読むのは本作が初めて。
しかも、「あとがき」を読むまで気がつかなっかたのだが、本作は彼女の死後に刊行(2006年)された遺作エッセイ集だ。
さて、ワタシが「江戸」に最も惹かれる理由は、何といっても260年間にわたって大きな戦乱もなく平和な時代だった、ということに尽きる。もちろん、その背景には鎖国や封建社会という圧政があったとされるが、近年はその
“鎖国”や
“封建社会”が本当に言われるような悪政だったのか、見直しも進められている。
それをさて置いても、日清戦争から太平洋戦争終結に至る50年間に、暴政と戦乱によって失われたとおびただしい命と流された血を考えたときに、その5倍にも及ぶ年月を不戦・平和で貫き通したことに、改めて驚きを禁じえない。
網野氏が指摘するように、明治政府による近代化とは一体何だったのか? やや話は脱線するが、そこが
三池崇監督による『十三人の刺客』で、ラストに提示された歴史観にワタシが違和感を感じるところでもある…。
その“江戸の平和”のヒミツについて、杉浦氏は本書において明確な答えを導き出している。
「大都市である江戸が二百五十年間の泰平を保つ事ができた価値観を示すキーワードは『持たず』、『急がず』、この二つの言葉だけです」
「『持たず』には二つの意味があります。一つは物を持たない」として、「江戸の二百六十四年間を通して日本人がやっていたことは、衣食住のすべてが八分目という暮らしです。足りない二分はどうするか、これを毎日、工夫してやりくりしていくのです。よそから借りるか、他のもので代用するか、その場は我慢するのいずれか。そして生ごみや生活排水はほとんどゼロでした」と、ワタシたちに語りかける。
そして、「もう一つの持たないのは、コンプレックスです」として、他人をうらやまず、ひがまず「自分は自分という自身を持って日々を暮らせば、せちがらなくない。そういうことが大切なのです」と諭す。
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